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〜おさむクリニック新聞から〜
  
15.在宅20年の歩みと玉島在宅医療グループ
(おさむクリニック新聞2015年新春号より)

おかげさまで、当クリニックが開院して昨年の4月で満20年となりました。これまでの在宅医療について振り返ってみました。
父は開業医で、その時代には当たり前のことだったのかもしれないが、よく往診にでかけていた。その背中を見て育ったため、開業したら在宅医療とりわけ在宅での緩和ケアに取り組もうと考えていた。 開業当初は、かかりつけの患者やその家族の依頼に応じての在宅医療がほとんどあった。この頃は、病室で行われている医療をそのまま患家の自室に持ち込み、積極的に医療行為を行うことが在宅医療だと単純に考えていた。疼痛緩和にとどまらず、迷うことなく点滴や輸血、その他侵襲的な処置も色々と行ったが、今から振り返るとやや過剰なこともあったのではないかと反省している。介護保険が始まる前であったことはもちろんのこと、訪問看護もまだ黎明期であり、訪問診療や往診に加えて訪問看護も自院より提供していた。同じく在宅医療に取り組む薬局もなく、麻薬もすべて院内で処方していたため不良在庫による経済的損失も決して小さなものではなかった。それでもがん患者の看取りは年に2人程度であったので、肉体的・精神的負担は取るに足りないものであった。 開業して4年後の1998年、玉島在宅医療グループが発足しメンバーの一人として参加することになった。このグループは、ヤスハラ医院 安原尚藏先生の呼びかけにより、玉島医師会の中で在宅医療に取り組む有志が集まって発足した。現在は、ヤスハラ医院、井上クリニック、いなだ医院、守屋おさむクリニックの4医療機関で在宅支援連携体制をとっている。
実際の活動としては、お互いに副主治医として不在時などのバックアップを行っている他、月に1回玉島医師会館で「玉島医師会在宅グループ診療症例検討会」を開催している。この会は、医師会員にはオープンで、毎回医師会長を始め6名から10名程度が参加、在宅患者に限らず様々な症例を持ち寄って検討したりその時々の話題などについて勉強したり意見交換をしたりしているが、ここで得られる情報や知識は日常診療にもきわめて有益である。 「玉島在宅医療グループ」は知識や考え方を共有し、客観的なチェック、物理的・精神的なバックアップを行っているゆるやかな協力関係にあるグループである。グループ発足16年が経過し、メンバーの平均年齢は60歳に迫ろうとしており、体力の限界を感じないわけではないが、少しでも質の高い在宅医療・看取りを目指して日々の活動に取り組んでいる。いまやこのグループの存在は私にとってはかけがえのないものになっている。 さて、社会の高齢化、介護保険制度の開始、病院から在宅へという政策誘導などにより、在宅医療を取り巻く環境は私が開業した後に大きく変貌した。その影響なのか、当初は在宅緩和ケアのほとんどがかかりつけ患者であったが、最近は7割近くを逆紹介患者が占めるようになり、がん患者の看取りも多い年には10人程度と増加してきている。
現在は24時間体制をとる訪問看護ステーションや調剤薬局、介護保険を利用する場合にはケアマネージャーやヘルパーステーション、場合によってはデイサービスなどとも連携して、在宅緩和ケアの必要な患者や家族を多職種が連携したチームとしてサポートすることが可能になってきた。互いの連絡もタブレット端末やメールなどでリアルタイムに情報共有が出来るようになってきており、それぞれが経験を積むに従いスキルも上がってきているように感じている。 20年を経て、私自身の在宅緩和ケアに対する考え方やスタンスも少しずつ変わってきた。最近では苦痛を取り除くこと以外は可能な限りシンプルに、輸液も出来るだけ行わないようにしている。これは玉島在宅医療グループの仲間と共に実例から学んだ経験に基づくものだが、最近では『終末期がん患者の輸液療法に関するガイドライン』にも同様の考え方が示されている。
私は1958年生まれだが、その頃は8割近くの人が自宅で最期を迎えていた。ちょうど私が大学に入学した1976年に自宅死亡と病院死亡の比率が逆転し、開業した1994年頃には自宅死亡率は約2割にまで低下している。この半世紀で終末期医療を取り巻く環境はこのように大きく変貌した。しかも単に死亡場所が変わっただけではない。看取りの文化や死生観までもが大きく変わってきていることを、特に癌の在宅緩和ケアの現場で強く感じる。以前は、自宅で身近に家族の死にゆく姿をみつめることで、自らの生き方や死に方について自然と考えることができたと思われるが、死に直面する機会の少なくなった現在、自らの死生観もないまま、死の直前まで入院や治療が継続され、受容する間もないままの死を迎えることが多くなっているのが現状である。 こんな社会情勢の中、家で最期を迎えた方々から大切なことを学ばせてもらった。もっとも印象的だったのは、彼らは家で死ぬためではなく最期まで家で生きるために帰ってきているという現実であった。そしてこの家で過ごす時間は人生の集大成のために極めて重要な期間であり、このいとおしむような時をある患者の家族は「至福の時」と表現している。
今我々に求められているのは、治療の限界がある患者に対して、死の受容を促す暖かいサポートと予後予測を含む十分な告知を行い、在宅という選択肢もあることを具体的に説明すること。そして希望される方に対しては、家での生活に意味を感じる事の出来るタイミングで在宅緩和ケアを開始することである。通院できなくなったから在宅では遅く、家で過ごす期間は2〜3週間はあったほうがよいと思う。
そして家に帰られた後は、疼痛緩和を中心とした医療はもちろんの事、家族と共に至福の時を過ごしてもらうために、生き方の支援をしていくことが重要となる。長い人生の最後の大切な時間を患者や家族と共に過ごし支えることは我々に与えられた極めて荘厳な使命であり、そこにも医療の醍醐味があるのではないかと感じている。院 長


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