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〜おさむクリニック新聞から〜
  
17.いちょう並木
(おさむクリニック新聞2015年秋季号より)

私がそこを通り過ぎた時には、すでにいちょうの葉の多くは地面に舞い降りていて、枝の間から青空をすかして見ることができた。それでも特有のイエローは、周りの風景の中に、圧倒的な存在感を示している。あの時、彼はこのいちょうをどんな思いで眺めたのだろうか。
「えっ、私一人ではとても無理です」妻の顔が目に浮かぶ。2人暮らし、全くの素人、点滴につながれて歩くのもままならない余命いくばくかのがん末期の患者を自宅で介護するなんて、ためらうのが当然だ。
彼は70歳、我慢強く穏やかな性格だった。私が彼と出会う3年以上前から彼と病魔の戦いは始まっていた。大手術が2回、抗がん剤治療も約半年ごとに3回、病巣部の動脈への抗癌剤の直接注射も10回。しかしがんは容赦なく彼の体をむしばみ、肺にも肋骨にも肝臓にも転移していた。ある年の夏の終わりに彼は血便で入院する。貧血もひどく輸血を受けたが、その原因は何と肝臓に転移したがん細胞が胃の壁を貫いて胃の中にまで顔を出し、動脈を食い破って大出血を起こしたためだったのだ。
どんなに医療が進歩したからといっても必ず限界はある。大病院の主治医の先生から彼に病気の説明があった。「余命1〜2カ月、今なら家に帰って自宅で最期の時を過ごすことができる」と。彼は家に帰ることを強く希望した。ためらう妻の背中を病棟師長がそっと押した。いつも思うことであるが、病院のスタッフに在宅の視点があるということは極めて重要なポイントだ。この時の先生と師長さんのことは今でも忘れられない。
 私が病棟に伺い、夫妻と始めてお会いした翌日、彼は家に帰った。一日でも早く家に帰りたかったのだ。ケアマネージャーは急いで一日でベッド・エアマット・車いすを準備した。彼が家に帰り着いた時にやっとエアマットが膨らんだところだった。
家での生活が始まった。トイレはふらつきながらも何とか可能。小用は尿瓶。食事は一口二口のみだが妻の手料理を味わうことが出来た。水分もまずまず摂れているし、夜はぐっすり眠れる。「病院では何も口にせず、夜も眠れず、同室の患者に気兼ねしてトイレにも行けなかった。点滴はあまりしたくない」と本人。
 病院とは違い、家では自由だ、患者さんが主人公だ。点滴だってそうだ。彼と相談し、毎日していた栄養の点滴を週3日に減量。しかも、長い点滴がしんどくなったら適当なところで妻に抜いてもらってもよい事にした。
煮込みうどん、パン粥、煮物、おかゆ、ヤクルト、アイスクリームなどを少量ずつ食べた。食後に嘔吐してしまうこともあったが、「食べたい気持ちのほうが強い」と本人。
2人暮らしだが、近くに住む義理弟夫妻や本人の妹が妻をサポートした。息子たちは遠方に住んでいたが、度々実家に立ち寄った。
肝臓のがんが胃の中にまで悪さをしているのだから痛みがないわけがない。しかし、痛みをコントロールする方法はとても進歩しており、錠剤だけではなく、貼り薬や水薬、注射薬などでかなりの程度の痛みでもコントロールは可能である。彼も色々な種類の薬を必要としたが、痛みは我慢できる範囲に治まっていた。家での生活が始まってそろそろ1カ月が経とうかというある日の午後、彼は家族とドライブに出かけたのだ。
紅葉を眺めながら、予定外に長いドライブになったようだが、少し疲れはしたものの楽しかった様子で、見せていただいた写真の彼は、助手席で嬉しそうに微笑んでいた。もう二度と観ることのない、いちょう並木を彼はどんな思いで眺めたのだろうか。
それから暫く経過した、ちょうど亡くなられる一週間ほど前の早朝「しんどい、死が近づいた不安感がある」との電話があり、初の予定外往診に伺った。血圧や脈拍は落ちついているものの、えも言われぬ不安を感じておられる様子。本人にしか分からない動物的な勘が働いたのだろう。「しんどくなったときの希望は?」に対して「眠らせてほしい」とはっきりと返答された。
翌日、ご本人の希望に従い、苦痛を和らげる薬をポンプに詰めて持続的な皮下注射を開始した。効果が出てくると、彼は気持よさそうに眠り始めた。しかし、妻が一言つぶやく「ポンプonだと眠ったままで話ができない…」。確かにそれはそうだ。家族としては少しでも長く生きてほしいし一言でも多く会話をしたい、あたりまえのことだ。ちょっと考えて、ポンプのon・offを妻の手にゆだねる。孫が来る日は妻の手でポンプはoffに、目覚めた彼は孫にアイスクリームや氷を食べさせてもらって嬉し涙を流した。どんな痛み止めもどんな麻酔薬も孫にはかなわない。
意識は混沌としているが、訪問診療の度に帰り際は握手で別れた。その後暫く「あー」と声を出したり眉間にしわをよせたりしているが、ほとんど意識はない状況となった。
  妹・嫁が泊まって妻をサポート。彼の兄弟全員集まり「在宅もいいなあ」と弟。ある朝、隣で寝ていた妻が呼吸停止に気づく。「お父さんありがとう」と涙声で妻。介護を通じて日々たくましくなっていく妻の姿が印象的だった。
在宅ターミナルケアでの主役がもちろん患者自身であることは論をまたない。しかし、患者を支える家族の存在なくして家での生活は成り立たない事が多い。最初は不安でいっぱいの家族の顔が、病状の進行とは裏腹に、時間を重ねるごとに穏やかになり、時に笑顔さえみられるようになってくる。最初はおっかなびっくりの介護が、暫くすると我々も驚くほど堂に入ってくる。何事もやってみなければわからない。大切な人を看取る事は辛い事だが経験は人を成長させることを教えられる。不安が隠せなかった退院前日の妻は、夫を見送った後には別人になっていた。彼女と一緒に彼を最期まで家で看とれた事を心から嬉しく思う。ほんとに人間って素晴らしい。
         院 長


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